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【2025年度】大学受験共通テスト直前、不安になったら読む記事

みなさんこんにちは。ロググラムの久保です。
2025年度、新課程初年度の共通テストを直前に控えたみなさんは、多かれ少なかれ不安を感じていると思います。

何も悪いことではありません。それで共通テストが不利になることはないのです。

ただ、不安でたまらないとまあ辛いですよね。分かります。
今回は、その不安がどれほど取るに足らないことか論じてみようと思います。受験生へのエールに変えて。

 
 

1、全教科で自己ベストを出す必要など一切ない。失点せよ。

共通テスト本番、過去最高点を出したいですね。

 

もちろん当日の難易度にもよりますが、基本的に総合得点でベストが出せる勝算は高いのです。
皆さんの学力が、共通テスト当日以上に高かったことなど未だかつてありません。
学力は勉強に対して単調増加をとるわけなので、当然のこと。

 

これまでの模試や練習よりも受験当日の方がずっと高得点を取りやすいと言えます。

ただ、意気込むのは悪くありませんが現実的な話もしましょう。
2025年度に迎える共通テストにおいて、数学も英語も国語も理科もと、全教科で自己ベストを取ろうと思う必要はありません。

 

単純に、そんなことは狙ってできることではないからです。もっと言うと、全教科で自己ベストを取ることと、皆さんの合否は無関係です。

 
 

本当に大切なことは、高得点が取れた教科も取りこぼしてしまった教科もある中で、それでもトータルの総合得点として目標を超えること。それならば十分に狙ってできます。

1教科や2教科、目標点に届かないことなど当たりまえなのです。むしろ合格した先輩たちの95%以上は、想定していた得点よりもずいぶん低かった教科があったはずです。

それでも受かるんですね。
重要なことは、失敗する教科があったとしてもトータルで目標得点を超えること。

 
 

逆境をはなから想定しておくとも言えます。それはつまり、最後まで粘り抜いて、最後まで努力を尽くして受かりきる覚悟の現れでもあります。

言い方は悪いですが、全教科で自己ベストを上回る想定をするのは受験生側のエゴとも言えます。

目標にすることは素晴らしいですが、想定とするにはむしろ楽観。あまり都合の良い想定ばかりすると完璧主義に陥ってしまいます。過度なプレッシャーにもなりかねません。

 
 

共通テスト当日、一つのミスもなく完璧なパフォーマンスで終える受験生など誰一人いないのです。誰しもがもっと取れたはずだと何らかを悔います。しかしながら総合得点で目標を超えていれば何一つ問題ありません。

「足るを知る者は富む。」ということわざがあります。

共通テストはあくまで一次試験。持ち点でしかありません。

 
 
 

〈難易度の面から共通テストを考えてみましょう〉
センター試験時代が終わり、すでに4回の共通テストがありました。

これまでの共通テストの傾向から考えると、新課程を迎える今年の共通テストも1~2教科ほど、非常に難しい教科があると想定されます。

本格的に難化した教科は平均点が40%を下回ることもあります。その教科は難関大学と比べてもかなり難しいです。

ならば、その教科はある程度の得点で良しと考えて良いのです。

皆さんのライバルだってとれません。

 
 

平均点が極端に下がった年は、6割の得点でも偏差値ではSS70を超えることもあります。(※意外かもしれませんが、平均点が極端に低い年は、特に上位生が取りこぼしています。)

たちが悪いのは、完璧主義で臨むあまり想定外に難しい教科に面食らってしまうことです。そこで頭が真っ白になってしまっては、それ以降の教科も頭真っ白のまま受験してしまうかもしれません。

 
 

実際には、その教科で自己ベストを取る必要はないのです。

取れるかもしれませんが、取れたらラッキーぐらいに思いましょう。人類は全知全能ではありません。分からなかった大問や取りこぼした教科があることが当然。合格者のほぼ全員が取りこぼします

さっと切り替えましょう。切り替えることこそ共通テストの心得です。

(ちなみに、全然できなかったと落ち込んでいたのに、その教科を自己採点してみたら過去最高点だったという生徒に毎年出くわします。そんなものです。)

 
 

受験全体からみると、共通テストはただの持ち点でしかありません。

受験の合否を決めるのはあくまで二次試験。共通テスト本番は自分の持てる学力において当日に取れた点数のみで謙虚に満足すべきです。もっと取れたとか、ここでミスしなければなど考えるだけ無駄です。

とにかく素早く二次試験に切り替える。極論するなら共通テストでは、素早く二次試験対策に切り替えることこそ目標とすべき。その方が受験全体のパフォーマンスも良くなります。

 
 

 

2、緊張してもしなくても本番での得点は変わらない。無視せよ。

本番で緊張してしまって取れないかもしれないと心配な方も多いかもしれません。
 
気持ちは分かります。緊張して体がカチコチになることを誰しもが経験していますよね。

ただ、結論からいうと緊張していても緊張していなくてもどっちでもいいです。(多分緊張していると思いますが)。

 

私の時代は(ゆとり教育出身なもんで)まだセンター試験でしたが、第一科目の社会を受験したときは、緊張しすぎて手が震えました。マークシートが塗りにくかったですね(笑)

しかしながら、それがどうした?っていう話なのです。
緊張しても思考はできます。緊張していても過去最高点は取れます。これが事実です。

 
 

そもそも緊張するのも第一科目の初めの5分ぐらいの話で、解いていくうちに緊張など忘れます。脳は作業興奮するわけなので、いつの間にか試験にのめりこんでいます。試験受けながら一日中緊張しているなど人類にはできません。
本番緊張してるなと感じたら、「あ、今、緊張してるなあ」って思ってください。他にすべきことはないです。

 

みなさんが初めに受けたマーク模試では緊張などほとんどしなかったでしょう。それでも、全国55万人がガチガチに緊張しながら受けてきた過去のセンター試験本番では、第一回マーク模試より170~200点ほど平均点が高いのです。「緊張、上等」と心得ましょう。

 

3、なぜ不安を感じるのか。楽しい余談をしましょう。

共通テスト直前になって、皆さんが不安を感じるのは当然のことなのです。

不安の原因を大きな視座でとらえてみましょう。

 

私たちが不安を感じるのは、太古の昔に起こってきた進化と淘汰の結果、いわゆる進化論によって説明できます。

我々の祖先にあたる種は圧倒的スケールの時間軸の中で、常にあらゆる競争にさらされ、そのことごとくに勝ち続けてきたわけです。ありがたい話です。

私たちの祖先がなぜ勝ち続けることができたのか。その大きな要因は「不安」を感じることができたからだと考えられています。不安を感じなかった種の方が淘汰されてしまったのです。

 

不安を感じられなければ子孫を残す前に、何らかの危険に遭遇し絶えてしう可能性が高かった。不安は危険を克服するための最良の手段でした。それが膨大な時間の中で幾重にも繰り返され、最終的に種をつなぎ続けることができたのが私たちの祖先方だったわけですね。

不安を感じたおかげでうまく危険を回避し、現代まで生をつなぐことができた。人類はまさにダーウィン的進化論における歴史の勝者であると言えます。つまり、現代に私たちが人類として君臨しているということは、不安を感じることができた生き物であったからなのです。

 
 

不安とは「能力」です。

我々の祖先は、不安と想像力によって圧倒的に過酷な地球環境を生き繋ぎ続けました。そして生態系のトップに立ち、今の私たちにつながっています。十分に不安を感じることができ、不安と向き合えたからこそ、学び、備え、克服し、次の命をつなげるほどに自身の状況を好転させ続けられました

 

不安を感じている皆さんにとっても、不安とは自分自身の高等さの証なのです。つまりは生物史上において、極度に高い知性の表れ、淘汰の歴史の勝者の特性。それが不安です。
不安を感じることは、圧倒的な強さなのですね。すごいなみなさんは(僕も)。

今まさに不安を感じているということもその能力の高さゆえです。

共通テストにおいて最善を尽くそうとする意志の裏返し、だからこそこの記事も読めているわけです。

4、あとは、祈れ

あとは、もう祈りましょう。

 

祈るとは、「合格しますように」と祈るのではありません。

自らのあり方を自らに祈るのです。

自分自身が、自分自身に対して、最後の最後まで努力を尽くせるよう、祈る。
祈ることで受験の合否は変わるか?それは分かりません。ただ変わらないとも言い切れないと思っています。

神様に「合格させてください」と祈るわけではない。それはそれで価値のあることだと思います。ただ、それだけでうまくいくとは思うべきではないですよね。

 

私がおすすめしたいのは、「自分自身の受験を、自分自身が最後の最後まで手段を尽くせるよう、自分自身に対して祈る」ことです。

祈るだけで合格しようってのはなんだか厚かましいように思います。でも、自分が自分を裏切らないよう、最後まで頑張りぬけるように自分自身に祈る。その祈りは自分自身に聞き届けられるのでは?

それはホントに尊いことだと思いますね。受験はまだまだこれからです。

今回もいいこと書きました。

 

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